2003年(平成15年)3月17日 山形新聞
洗練された演出に脱帽 出会いが独自発想へ発展 加藤朝美 (彫刻家)
現在、パリ国立自然史博物館主催の現代美術展(同館で3月24日まで開催)に作品「睡蓮」(すいれん)を出品している。最初は不安もあったが、パリへ展示に行くと、思っていたより大きな企画の展覧会だった。小生の作品のため部屋の中央に大きな展示台(4×5m)が設置され、そのふちには水が流れる演出と、シンプルだが凝った照明が準備されていた。さらに水を感じさせる深い弦楽器的な音色の会場用音楽も響いていた。
この作品はブロンズなのだが、展示用として軽量にするため樹脂と鉄でつくり、14点の大小の睡蓮(一つの葉が直径10cm前後)を天井からつるして展示した。水面に浮かぶ葉の高さを同じレベルにして架空の水面をつくり出し、微風や鑑賞者が触れた時には作品が動いて、想像の波を感じられるようにした。
制作の意図としては具体的な睡蓮をつくったというより「抽象的な水」をつくったと、言った方が正確かもしれない。
今回の展示は主催者側の展示演出家が担当。暗い会場の中、作品の一つひとつに細い光が当たると、ボーっと静止した睡蓮が浮かび上がり、それに対して会場の壁の周りを水に反射した光がゆっくり流れ続ける。そして音楽が台の床の中から聞こえてくるのだろうか。チェロの響きが睡蓮の間を静かに蛇行して、消え入るように耳元を通り過ぎていく。
今まで自分の作品を第三者が演出するという経験がなかったので、自分でも想像していなかった新鮮な光景に遭遇し、最初の不安はいつの間にか消えていた。
「睡蓮の彫刻をつくっている」というと、多くの人から「モネのような?」と返ってくる。睡蓮はモネの専売特許のようになっているので、写真や実物を見せないと、わかってもらえない悲しさがある。小生の睡蓮の発想は、古い水墨画の蓮(はす)から始まったことや、十年前から制作しているベネチアの「建物が水に写る風景」の構想と重複してつくられていたこと、しかもモネの「睡蓮」にはもともと興味が薄かったので、そう言われれば言われるほど、むきになって、モネとの違いを説明していた。
三年前、パリに長期滞在した時、美術館でモネの多くの習作を見たり、ジヴェルニーのモネの家の睡蓮池を訪れるなど、モネの「睡蓮」と接する機会に恵まれた。それまでモネは単に睡蓮の花や葉のみを描いたと思っていたが、その追求の深さと色彩の魔術にはあらためて驚かされた。
水面に静止した実像の睡蓮を配置することで、微妙に揺れる背景の柳やポプラの虚像が巧みに遠近感を深め、抽象絵画のように光と色がキャンバスの中で乱反射を繰り返す。半生かけて睡蓮に取り組んだモネの偉大さ、探究心の深さを思い知らされ、心地よく打ちのめされる機会になった。
百年前、フランス美術界に日本の「浮世絵」が多くの刺激を与え、後の印象派の巨匠たちを一瞬にしてとりこにしてしまった。その時代の日本文化の質が高かったことが認識され、モネも浮世絵を集めたり、自慢の庭園に日本風の太鼓橋までつくったほど。
今回、小生の睡蓮の作品から得たインスピレーションで、展覧会場を幽玄とも言える雰囲気に演出してくれたフランス人の展示演出家。一緒に会場づくりをしているうちに、彼らの素晴らしく洗練された芸術センスに脱帽せざるを得なかった。
作品制作は時間や技術などの積み重ねで出来上がるものだが、重要なのはそれと同時に、新しい出会いや感動から古い概念や過剰な知識を壊し、自分のオリジナルな発想を発展させて行くことと信じている。高い水準を持つ優れた演出家たちとの共同作業ができた今回のパリでの発表は、自分が成長する意味で大きな影響を与えてくれた展覧会になった。
今、モネの「睡蓮」を分析することから、自分の作品も第三者的な目で見られるようになった。出展した「睡蓮」は、具体的な植物をつくったというより「睡蓮」の形を利用して「抽象的な水」を表現したという実感を深め、作品の幅が少し広がった予感を覚える。世界中、いろいろな環境で存在する水、そこに映るさまざまな形は無限のモチーフになりそうだ。