加藤朝美 エッセイ          Paris 1〜13 / 14〜24 / 25〜34 / 35〜42 / 43〜52 / 53〜60

ボンジューール!!!

Paris-1

    今年の1月にこのシテ・デザールを下見に来ている事もあり、空港からタクシーで問題なく到着し、入居手続きも終わりました。フランス語が解からないのには色々な面で不便し、今は下手なりに英語でやり取りしているので、イタリア語ほど言いたい事が言えず、質問する単語が分からない場合ついつい止めてしまいます。でも相手フランス人も英語が第2外国語で逆に下手な部分があり、ベーシックな部分は通じるのと名古屋の大学でぼくが交換留学生の担当だったので意外とメチャクチャなりに英語が簡単に出るようになっているので不思議でした。
 日本語でも言いたい事がいえない程度にしておくとぼくも人に好かれるかもしれません。

Paris-2

    このシテ・デザール〔パリ国際芸術家都市〕は世界中のアーティストが約300人もアトリエ兼住居に暮らしています。音楽家も居るので中庭からはピアノ、フルート、声楽の練習の音も聞こえてくるし、小さなコンサートホールもあり、定期的にコンサートを開催しています。美術も版画、写真の共同アトリエの他に、7つのギャラリーがあり、ぼくも628日から「ヴェネツィア」のテーマで展覧会を開きます。シテ島の近くのノートルダム寺院が見える所なので、パリの中心に位置しています。先日、夜の食後散歩に出たらノートルダム寺院を通ってシテ島一周を歩いてきました。
 まぁうちの庭みたいなもんかな…。

 

Paris-3

    電話契約  インターネットをするにも日本との連絡にも、まずは電話を引く事から始めなくてはならず、早々フランスの電話局へ。ところがぼくらが2ヵ月半の短い期間の滞在者だとわかるやいなや、きっぱり断られてしまい、何を言っても「No」が返って来ました。それでもイタリア人がやるように食い下がってみたら、銀行の口座を作る事と、1500フランのチャージを払う条件まで漕ぎ着けました。しかし、フランスで銀行の口座を作る事は信用を得る「シンボル」なので、意外と面倒で時間がかかりやはり問題が大。市内に電話契約のエージェントがいくつもあるので、別な事務所で短期間である事を隠して申し込んだら、口座やチャージ金なしで簡単にOK。
 通訳で来てくれた、しのぶの友達に「イタリア人的しつこさ」と変に感心されました。

 

Paris-4

    洗練された都市  日本人が思う「ヨーロッパの街並み」はここパリ !!! 本当に印象派が描いた街並みが歩いている街角、路地、丘からの風景、すべてが絵の題材になります。ぼくもベレー帽をかぶってイーゼルの前で絵を描いたら印象派と同じ絵が描けそうです。パリが美しい街並みを造れたのは、センスの問題だけではなく、金がある時に使うところに使ったと言う当り前なことをしたと思います。並木と街灯が美しく引き立つのは、電柱が歩道に1本もなくケーブルが地下に入れた大工事の結果だし、その上に街並みのデザインが生きることになります。
 日本も使い道のない建物や、中身がない立派な美術館等の文化施設を造る前に、電柱を取り除く事や歩道の確保が最初だと思うけど…。

 

Paris-5

    ぼくらの生活には高級なフランス料理には縁がないけど、フランスパンとチーズが本当に美味しい。ご飯党のぼくが毎日パンを食べているので不思議です。どのチーズが美味いのか判らないけど、一つ一つ小さく作られ可愛らしくデザインされた包みを見てどんな味か試しながら選ぶのが楽しいし、今の所全部「美味しさは」当り。もう一つは仏植民地の時代背景から多種民族の集りの街なので、色々な料理が食べられるのも毎日の楽しみで、小さな世界の食べ歩きです。近所にお寿司のテイクアウトの店があり、スパーマーケットにあるように透明の容器に売っていた時は感動しました。
 イタリアはイタリア料理で十分だけど、このバラエティさがないのが淋しい。

 

Paris-6

    必要最低限のものが揃っているとは言え、生活の始めは何かと細々と買い物があり、洗剤、タオル、画鋲、カーテン。食べ物の方は食材の前に、塩コショウ、酢、コーヒー、しかしラベルが仏語なので11個の決定に時間がかかり、予定の2倍も3倍もかかり、食事の前に十分に時間を食ってしまいます。それでもイタリア語と似た単語があるのでぼくらは楽ですが、日本から住む為にフランスに来た人はもっと大変かなと思います。でも自分もイタリアに最初に来た時は、辞書を持って買い物する修行(?)を積んできたので、今が楽できる先輩になったのかなと思います。辞書と言えば街に出るときは「仏語−伊語」の辞書を持って行きます。同じラテン語がベースになっているので伊語と同じ綴りで発音だけ違うとか、日本語に訳すと無理がある単語が、伊語の方が「ピーン」と来る場合があるので結構勉強になります。この前は名古屋でも洗面器からカーテン、棚、ステレオまで買って、所沢に「名古屋セット」してそっくり置いてあるので、今度は「パリ・セット」が出来るので、この2都市は次に住む事になるとその日から日常の生活が出来る事になります。

 

Paris-7

    パリ人  「フランス人は不親切だよ」「笑わない人種」「まぁあの冷たさ…」とパリ出発前に多くのイタリア人から言われて来ました。しかし実際の彼らは親切だしイタリア人と比べてやる事をやってくれるので、イタリアに慣れているぼくらには全然問題ないスタートをきりました(「イタリア人、お前たち笑わなくてもいいからやる事やれ!」)。日本のガイドブックにも「不親切」とか「英語で言ってもフランス語でしか答えが返ってこない」と今回接しているフランス人を見ていると納得できない事が書いてあります。ほとんどの日本人が英語を出来ないように多くのフランス人も英語が出来ず、この理解がベースになってないと、このような誤解になってしまいます。(日本人の英語は会話も発音も下手なのを棚に上げてよく言うよ…。)
 スペインに行った時にスペイン語が話せないけど何となく解かる、ぼくがイタリア語を話し、お互い別な言葉を話しているけど大まかなところは解かってしまう不思議。だからフランス人も相手の言っている大まかな英語は解かっても、英語で答えられないのがほとんどだと思います。逆にイギリス人が仏語を解からないのと、片言の英語しか出来ない日本人が仏語を解からないでは「解からない」パーセンテージが完全に違う事を頭に入れておかないと、日本語のガイドブックに「フランス人は母国語に強い誇りを持っている人種」と嘘のようなホントのような話が出来上がってしまいます。
 「イタリア人と日本人! もっと己を知れ」

 

Paris-8

    考えてみれば何しにパリに来ているか書いてなかった。
 まず
1に展覧会、2に制作、3に取材、4に見聞を広める。
 1・ 6月末の「展覧会」の作品準備は勿論の事、発表自体のオーガナイズに時間がかかる為、案内状・ポスターを刷る前に文化会館等に後援申請をしたり、パリのマスコミへの準備があります。
 2
・「制作」は今回の展覧会の作品ではなく「パリ彫刻日記( ?)」つまり絵日記の立体版を別なシリーズをしのぶと作っています。
 3・「取材」は今までの風景を彫刻する為にパリの街並みに可能性を探し、昨日もモンマルトルを取材してきました。パリは絵になるけど立体にならないと決め込んでいましたが、歩いてみると彫刻になる風景が意外とあるので、急きょ取材が忙しくなってしまいました。
 
4・「見聞」はイタリアと言う古い国からニューヨークに行った時に大きな衝撃を受け、一緒に行ったローマ育ちの建築家と、最初の3日間は2人とも口を開けたまま観光していました。異文化を知ることで自分が少し成長したように、またパリにそれを求めています。先日、国際電話で母にその話をしたら「お前みたいにイタリアばかりいると『井の中の蛙』になるよ!」と所沢市から出ない母に言われました。

 

Paris-9

    パリの日本人の友達    ぼくらがパリに来る前に、しのぶの親友のご主人が4月から1年間パリに大学(仏文)の研究で来る事になったのと、ローマでお世話になっているHさんのお嬢さんのミナさん(ローマ生まれで4ヶ国語がペラペラ)が3月からフジテレビのパリ支局勤務になり、語学の天才たちに囲まれたラッキーなスタートになりました。ちょっとしたことでも気軽に彼らに聞けるし、通訳も買って出てくれるので、電話の契約のような複雑な時には来てもらっています。
 ところがローマのぼくらの生活は、なるべく日本人の新規の住人との接触を避けていました。それは友達に折角なれて、滞在中に意気投合したと思っても、数年後には転勤・卒業等で日本に帰ってしまうと音信が途絶える事が多く、何かその接点が淋しく思っていました。しかし、このパリでのラッキーな経験を元に、ただ友達を作ると言う目的ではなく、困っている人を無償で助けることが、今まで多くの人に助けてもらっている借金を返済していく事につながると感じています。

 

Paris-10

    二つの母国    先日、パリ・イタリア文化会館と日本文化会館の二つに行って名義後援の申請をしてきました。二つともぼくがパリで唯一言葉が通じるところだったので、積極的に話しができます。
 ところが日本文化のほうは運悪く担当が展覧会の撤収で忙しく後援の申請を渡す事務的なことだけに終わり、イタリア文化の方も担当の方はイタリア文化会館から出す月刊の会報の締切日だったので忙しかったのですが、彼女がぼくのカタログを見るなり作品を気に入ってくれたのか、制作中の会報に無理してスペースを作ってくれ、伊文化会館の会報に写真入で載せてくれる事になりました。
 「後援名義」は結果的には日本文化会館が
OKで、イタリア文化会館が規則的に不可能でした。
 しかし事務的に終わった日文化と比べ、イタリア人の方が会報に載せてくれる事は勿論、作品に興味を示してくれたのと「案内状をたくさん持って来てここに置きなさい」「ポスターがあるならここに貼ってやる」等、親身に応援してくれました。
イタリア人は外国で移民同士が助け合って生活していますが、日本人だけどイタリア語を話すぼくも仲間に入れてくれている気がしました。(もう二度とイタリア人の悪口は言わない事を誓います !!!

 

Paris-11

    海外にある日本の公的な機関は、文化に対して理解が少なく、文化勲章等のお墨付きが無い作家(つまり無名)には非協力的な場合が多くあります。
 ローマの展覧会の時も、日本の文化機関の「後援名義」を貰ってくればローマ市のギャラリーを無料で貸してくれた上に、展覧会のポスター
500枚の掲示を半額で市内に貼る、とローマ市が言っているのに、日本文化会館が「個人の展覧会に後援を出すのは前例が無い」と言ってもめた事があります。
 またニューヨークの展覧会の時も、
NYのイタリア文化会館は規則で「後援」や「展覧会企画」ができなかったけど、親切に館長がオープニングにまで来てくれ好意的だったのですが、日本企業のJAPANクラブに個展の案内状を置いてもらおうと持って行ったら、「50枚につき25ドル払え」と言われビックリ。純アートの展覧会である事を説明しても、大売出しのビラを扱うように規則を通してきました。規則なら仕方ないにしても、横に五木ひろしのニューヨーク公演の何枚ものポスターと床にこぼれるほどの山のチラシが置いてあるのが、腑に落ちず帰って来ました。ぼくが五木ひろしを何となく好まないルーツがここにあるのかもしれません。

Paris-12

    シテ・デザール    ここに住んでいる芸術家たちは各国から優秀な学生だったり、奨学金をもらって来ていたり、芸術系大学の先生だったり、何かの賞のご褒美等さまざまです。たまに外から見えるアトリエの作品を見るとあまりにも幼稚でびっくりする時もあるけど、先日、デザール内のコンサートで演奏したデンマーク人のクリスティンは、CDを出すプロ活動していて、その演奏の巧さに驚きました。彼女は普段は適当に髪を束ねたラフな格好をして、長いフランスパンを歩きながらかじったりしていますが、コンサートでは光沢のある渋い若草色のドレスを身に着けてピアノの前に座り、鍵盤の上で華麗なテクニックには別人に映りました。逆に白い絵の具だらけの服を着たジャン・ポール・ベルモントを崩したような顔をしている人が居たから「油絵の大作に取り組んでいる作家かな?」と思ったら、壁の塗り替えをしているデザールの修繕の人で、その格好も様になっているから判断に困ります。

 

Paris-13

    無印良品   日本では静かに名の知れたメーカーですが、パリで今ブレイクしているのには驚きました。(ポケモン?これもフランス・イタリアでは漢字より100倍ぐらい大ブレークしているけどね)うちの近所だけでも「無印良品」の漢字の看板が2店舗ありますが、必ず店に人が入っていて日本と同じような価格でも多くのフランス人が買い求めています。ここではMUJIと呼ばれ、製品のポリシー以外に、色が少ないシンプルさとシリーズで揃えると清潔感があり、それと看板や製品の札に漢字が入っているのが良いのかもしれません。と言うのは、今フランスは「漢字ブーム」でTシャツは勿論、カーテン、コースター、ポスター等に漢字を入れることが流行っていますが、そのフランス文化の中の「漢字」を目の当たりにしてみると何か複雑な気持ちです。歴史的にも印象派が日本文化・浮世絵から影響を受けて作品の中に取り入れたりし、ヨーロッパの中でもフランスは日本文化の理解が進んでいる国です。  25年前はまだ若かったこともあり、日本文化のダサさを捨ててイタリアに留学しましたが、外国に出て日本を第三者的に見られるようになってから、日本文化の素晴らしさをぼくも理解できるようになりました。(えっ、歳 !?