加藤朝美 エッセイ          Paris 1〜13 / 14〜24 / 25〜34 / 35〜42 / 43〜52 / 53〜60

Paris25

    昨日パリに戻って来ました。空港から白いサクレ・クール寺院、エッフェル塔が見え、バスは豪華に修復されたオペラ座に到着。初夏で歩道にまで飛び出たカフェのテーブル、マロニエの緑が目にまぶしくなり、更にパリの香りがぷんぷんするように成って来たのに、ぼくらの初日の食事がなぜかテイクアウトの握り寿司なんだよね。

 

Paris26

    バスの切符事件    そう言えばローマに帰る時、パリの空港行きバスでお金を払ったのに運転手が切符をくれなかった事がありました。着席してから「コントロールがあるので切符を捨てないように」の表示を読み、まだ出発前なのでバスの運転手に切符を貰いに行きました。「あげましたヨ」と言って涼しい顔をしているので、更に押すと、切符の売上金をコインからお札までいちいち数え出し、「ほらピッタリ」と白を切る。切符を渡さないことで、ぼくが払った96フランが彼の個人的な特別収入になる訳ですが、ローマでは良くある事で、パリでは初めてのこと。「抜き打ちの検札官が来たら、ぼくはどのように切符を買った事を証明できるの」と言ったら、また切符を探す振りをしているから「あんたの胸のポケットも探してくれ」と強い態度で臨んだら、手先が微妙に震え出したので、そっぽを向いて立ちはだかっていました。また計算をし直し「あー、ここの計算が間違っていた」と言ってニコニコしながら切符をくれました。(アマチュアめ、イタリアに修行に行って来い!)イタリア人の場合は(ダメだったか)「ほら」と言って厚顔で簡単に切符をくれるか、計算などやらずに完全に白を切り通すかのどちらかなので、なかなか手ごわいです。
 この手の事件は「手品」と同じでタネが解ったら、相手の付属の動作や迫真の演技にこちらの気持ちが揺れない事が大切です。

 

Paris27

    為替と物価      最初は100フランと言われてもそれが高いか安いか判らなかったので、日本円に換算(1.600円)してその判断をしていましたが、そうすると「安い安い」と結構無駄な買い物をしてしまいます。しかしイタリア・リラに換算(30.000リラ)すると「この値段ならローマでなら買わない」とリラがベースで生活しているぼくらには冷静な判断が出来るようになり、今はイタリアモードに切り替えました。でも、どうしても買いたい物は日本円モードにして、安さを自分に納得させてしまい、折角、為替を上手く使い分けて頭の良いところを見せようと思った割には、一般の日本人観光客と同じ結果になっています。
 しかし定住するのと観光(一時帰国)では物の見方が大きく違い、
3年前に大学では教える為に2年間名古屋に住んだ時に、最初にスーパー・マーケットに行って驚いたのはイタリアのキロ単位で売る肉・トマトの値段の高さ(泥棒!)。逆に豆腐・おせんべ等の日本食は全然価格の高さを感じず、高くても美味しいものを選びました。初めは日本食の飢えもあって「こんな美味い物が世の中にあるんだろうか」と、朝晩に鯵の開きと納豆ばかり食べていました。

 

Paris28

    伊語から仏語   書いてあるのに読まない。読まないって言っていたのに、後ろに言葉が来るとつなぎ読み(リエゾン)してしまうフランス語には泣かされています。100%大声でローマ字読みするイタリア語に慣れてしまっているので、自信を持って読んでも似ても似つかない言葉を口にしまい、最初の頃は地下鉄の自分の降りる駅の名前を伊語式のRの巻き舌と読まない子音まで声を出して読んで周りの人の失笑を感じました。
 数年前にローマに来た日本人の友達が、満員の地下鉄の中で駅の名前を音読するので「おまえ、恥ずかしいからやめろよ!」と注意していた自分が跡形も無く消えています。今はなるべく黙読をして地下鉄に乗っていますが、たまにイタリア観光客が大きな声で「次はモントパルナッセ…」なんて読んでいると(モンパルナス!)と少し先輩として失笑する側に回りました。

 

Paris29

    日本語から仏語   十手・アベコベ・永久(とわ)に受精・節操・別送・持ってくれ・出鼻・こしあんで饅頭・湯冷め・手話(しゅわ)でプレー・春秋盆暮・16番館・出っ張り・糞尿タン・立ちション・しもぶくれ・・・。
 ちょっとオヤジ・ギャグ的になってしまうけど、全然判らない仏語のテレビを見ていて、耳に飛び込んでくるのがここに書いた日本語です。フランス語的に読むと結構それっぽい。仏語が日本語に聞こえる有名なところではケツクセー(これは何ですか?)コマンタレブー(お元気ですか?)発音が優雅なフランス語の陰に日本で知られている言葉は意外とシモの方が多い感じです。そう言えば、山形県の小国町の山で採れた物や作ったものを都会の卒業生や父兄に定期的に送って買ってもらう計画を作った時に、考えた名前が、シャンソン・デ・トレ・ビアン 
Sanson de treta-bin 「山村で採れた便」。(この「壁」がぼくがフランス語に向かない理由かも…)

 

Paris30

    フランス人寝顔展     昨日はシテ・デザールの身分証明書でパリ市近代美術館に無料で観てきました。市立といっても質の高い印象派・未来派のコレクションで有名ですが、目立っていたのは作品よりも会場監視員の寝顔。監視用の椅子に座ってふかーーく寝ている監視員の前を通る時には起こさないように小声で話したり、足音を立てないようにしたりする気づかいの方が先行してしまい、満足な鑑賞が出来なかった気がします。
 前に行った国立の方のオルセー美術館は寝ている監視員は居なかったけれど、彼らが数人で集って世間話をしていたり、二人で通路を行ったり来たりの歩き話が目に付きました。一流の美術館なだけに彼らの行動が目に付き残念に思うのですが、美術館の多くは入場者からの収入では成り立っていかないのが現状で、人手がかかる今までのやり方から、新しいハイテクのシステムを導入しないと問題ではないのか、と素人考えですが将来の美術館のあり方を心配しています。

 

Paris31

    ルソー    印象派の作品がオルセー美術館に移動してからは、その展示方法・見せ方等に興味を持ちましたが、印象派の作品はほとんど見ているので、最初ほどの宝の山を目の当たりにした感動は少なく、見方も単なる美術書の写真の「確認」と言う感じになりがちです。
 しかし今回は唯一アンリ・ルソーに興味を持ったので改めて勉強したい気持ちに、美術書の多い本屋に入ってはルソーの本を探しています。時代的な近さも関係すると思いますが、神格化したダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロのルネッサンスの作家より、印象派のアル中でマザコンのユトリロ、プレイボーイのモディリアニ、夜のモンマルトルで酒と芸人を愛したロートレックの方が身近に感じます。特にド素人から出発したルソーのアートは、毎回の出品で笑い者になりながら描き続け、世間で言う才能や技術ではなく、本人の個性と情熱である事を証明させた作家としてぼくなんかは特に勇気づけられます。

     

Paris32

    今日は祝日    しかし何の祝日なのか解からず「何かおめでたい日なんだろうな」と店の閉まったパリの街並みを夫婦で歩いています。イタリアでも行事や習慣に入っていくには長い時間がかかり、旬のそら豆が出回ったら生でパルメザン・チーズと一緒に食べたり、毎週火曜と金曜日には魚介類の市が並び魚を食べ、復活祭の翌日の休みには必ずピクニックに出かけたりするので、普段の挨拶の中に何を食べる、どこに行くが盛り込まれ少しずつ言葉と共に覚えていくもののようです。
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年もイタリアにいると習慣を理解した頃には、既に風化したモノになっていて、古い外国人になっている場合もあります。日本では530日の語呂合わせ「ゴミ無しDay」には驚かされ、外に出たら近所の皆さんが揃って掃除をしているので、大慌てして参加した思い出があります。顔だけは笑顔を作り(何、この駄ジャレ)と一人腹を立てて慣れない掃除をしていました。

 

Paris33

    ヨーロッパカップ    ぼくの趣味といえばサッカーをする事と見ること。イタリアにいると普通だけど、ゴルフの話がすぐ始まる日本だと共通の話題に入れない海外帰国子女なみに孤立してしまいます。今回のパリで語学の為といって買ったテレビも、最終目的はこのヨーロッパカップだった感が強く、公式雑誌ユーロ2000を買って試合のプログラムをチェックし、試合が始まる10前にはテレビの前で正座して待機ほどです。
 応援しているイタリアはお陰様で初戦を勝利で飾り、フランスも今お世話になっている関係で、多くのフランス人が集る大画面の実況放映が行われる市庁舎広場に応援に行き、生で拍手とブーイングが行われるスタジアム並みの臨場感を味わってきました。これから展覧会の準備で一層忙しくなり、サッカーどころではないのですが、先日、パリでサッカーが出来るかもしれない話が舞い込み、いつでも「ウイ」と返事が出来るように早々ジョギングを始め、シテ島とサンルイ島の外周を真夜中になると走り始めました。

 

Paris34

    作品到着     昨日、ローマから作品が到着。展覧会では20年前の初個展のコルティナ(北イタリア)に作品を自分で持って行って以来の陸送。航空便と比べて早くて安くて、そのうえ通関の為の書類作成と美術品海外持ち出し許可書申請が無いのが本当に楽です。
 ニューヨークに作品を送った時は業者に託するお金が無かった為に、伊側と米側の通関等の手続きをすべて自分でやり、伊側は何とかなっても、米側は広い広いケネディ空港の倉庫や事務所を解からない英語も手伝ってぐるぐる回り、ニューヨーク市内の地理よりも空港内の倉庫の番地の方が詳しくなったくらいです。
 後半は友人のボブに手伝って貰って一件落着しましたが、彼が大工の仕事を休んだ分、後日にアシスタントで大工仕事を手伝うことになり、ブルックリンにレンガ煙突の修理やクインーズにキッチンセットの設置に回りました。意外とこれが面白く、言葉は解からなくてもローマのアトリエでやっている事と大差ないので、仕事の手順がすぐわかりました。その後も空いている日は手伝っていたら「共同で仕事しよう」とボブから誘いを受け、危なくイタリアからニューヨークに移民するところでした。