加藤朝美 エッセイ       Paris 1〜13 / 14〜24 / 25〜34 / 35〜42 / 43〜52 / 53〜60

Paris43  うるさい!!!   

 イタリア人って何故こうも騒々しいの?
 夕方にシテ・デザールのぼくたちの部屋に来て一緒にパスタを食べたけど、その間は会話ではなく全員が言葉の吐き出しに近い感じで、誰も聞いてなくても最後まで喋り終えるのは見事。更に凄いテクニックは誰も聞いてなかったのに、自分の言ったことに対して隣の人間に質問する、彼女は別な人と話していたから何も判らず「何が?」と聞かれたら、また一から同じことを喋り始める。
 外では自分の国の地下鉄を基準にしているから「何故だろう、地下鉄にこんなにたくさん乗っているのに静かなのは、何かあったのかな?」と平和そのもの。クレープの店に入って注文しても、ウエイターが伊語を解からなくてもイタリア語一本槍で、自分が想像していたのと違ったものが来たら「あのコ、解かってなかったみたい」。何しろ、よく喋り、よく人の話を聞かないイタリア人でした。

 

Paris44  グルメ  

 ここのアトリエに誰かが置いていったフランス・グルメの旅の本があり、読んでみたら大笑いをしてしまうほど異常な世界でした。「料理は楽しみながら…」と始まる割には、最低限守るマナーがズラ、ズラ、ズラーとあり、「行く前にシャワーを浴びてから」「これはマナー違反です」「○○はタブーです」「それは行儀が良くない」「〜をチェックしてから」…何これ!?!?! 更に「女性が座るときは椅子を引く」「ナプキンは1/3を内側に折り…」「スプーンは斜めにして口に流し込む」、いくつ星のレストラン用に書いているのか判らないけど、3日のパリ滞在を想定して書いている事が恐ろしく、同じフォークとナイフを使う隣の国に長く住むぼくでも、その真似と演技は難しいと思います。(まぁ、人が座るときに椅子を引くのは小学校の時に悪戯でかなりやっていたので、結構さまになると思う)。
 猿が次から次へとジャングルの木を飛び歩いていくのは芸術的だけど、猿が人間の服を着て板についてない人間の真似をするのは滑稽なこと。少し言い過ぎかもしれないけど、日本でラーメン屋のカウンターで肘をついて食べていたり、自分の箸の先を舐め舐めとり箸を使わずに食事をしてる人が、フランスの見た事もないマナーを案内書を読んだだけで出来る訳がない。世界には幾つもの国があり、無数の料理があり、多くの独自のマナーがあります。フランスに来たからといって
3日でフランス人になる事はないし、日本に来た外国人が日本料理を下手なりに食べても何も問題がないように、日本で親に受けた「躾」で十分だと思います(勿論、その親次第ですけど…)。

 

Paris45  欧米で絶対なる禁止事項    

 何故、日本人がこの猿真似をする羽目になるかと、ぼくなりに分析は、
1.日本風の旅の恥は掻き捨て精神。
2.1点豪華主義から来る「リッチな気分」。
3.普通の庶民が海外では最高級に行けてしまう円高。
 これらが日本人を勘違いさせる原因と国際的な悪評に繋がり、1と2だけなら庶民的なレベルで可愛いのですが、3の『円高』が倍倍に恥をかく場所に連れて行ってしまい、更に演出をしてしまう結果になります。
 ぼくが日本人に感じる事は二つあります。一つは日本が「酔っ払い」に寛容過ぎる事、回りの客の迷惑になるような大声・大笑い、それと食事中から何本もタバコを吸い、酔いがますごとに更に本数が増える事です。もう一つは欧米のガイドブックの食事で必ず書いてある日本人の「すすり」。麺・スープ・コーヒーをすする音を出しての飲食は、完璧な仏式作法で食事をしたとしても、この音一つで人格は疑われるし、例えアルマーニを新調して着ていても、偽物か安物にしか見てもらえなくなる絶大な効果を持っています。日本からローマに来た友達に、レストランでは音を出さないようにお願いしたら「俺は日本男児だ!」と言った奴がいました。西洋料理をインド風に手で食べるのは、回りのテーブルから興味津々で見られても迷惑にはならないけど、この「すすり」は日本人が想像しているよりも10倍くらい迷惑になります。例えて言うなら周りの人がスープを飲んでいる時に、大の大人が鼻水を何度もすすっている感じに匹敵し、もし日本で外国人が箸を置くたびに茶碗のご飯に真っ直ぐ立てに刺していたら、ビジュアル的に重苦しい空気が流れて迷惑するように、ズルズルの「すすり」は行儀が良くなく、タブーな上、マナー違反で、チェックしなければならない事なのです。

 

Paris46

    昨日、ローマから送ってきた木箱から作品を出して会場に展示しました。今回は前回の名古屋の個展と比べて立体が少ないのと、パリに映画の勉強に来ているA君と仏語の勉強に来ているTさんが準備を手伝ってくれたので、実質的には半日で終わってしまいました。
 会場は広いのでゆったりした展示が出来て気に入っていますが、照明が
1点に集中するスポットではなく、全体を照らす型のものなので不満があります。アーティストの仕事は作品を作っておしまいではなく、作品を見せるまでが仕事なので、その照明の不満はギャラリーへの不満ではなく、自分の作品の一部として受け止めて対処すべきだと思います。
 
10年前のローマの展覧会も会場の照明が気に入らず、ローマ中探し回って見つけましたが、スポットって意外と高い。既に作品準備で金が無く、照明を個人で買う余裕がなかったのですが、これからの展覧会ごとに出て来る不満と思い「マイ・ライト」を揃える決心をしました。今回の会場はそのローマにある個人用のスポットはここでは使えないので本当に残念ですが、ある照明で最善の方法を考える事にします。


Paris47  オープニング 

 7つのギャラリーが一緒にオープンする為に人の出入りは多いけど、カクテルパーティ等を行えないので静かなオープニングでした。質問等してくる人の中に何人かはイタリア語で話せましたが、ほとんどフランス語なので映画の勉強に来ているA君に通訳してもらい助かりました。フランス人も態度がハッキリしているので、興味がないと会場に入らずに別なギャラリーへ行ってしまうし、興味を示すと作家に直接コメントを言ったり、サイン帳に一言を残して去っていってくれます。
 2年前、同じ作品「ヴェネツィア」の展覧会の名古屋の時は、プロのソムリエに来てもらいワインと手作りのハムの派手なオープニングだったので、作家とソムリエどちらが主役だか解からない感じで、作品には一言も触れずワインを絶賛して帰っていった友達も多くいましたが、今までになく盛大で参加者に喜んでもらえました。今回はオフィシャルのオープニングの後に、A君を始めパリで知り合った留学生たちが部屋に来て、シャンペンで準決勝フランス対ポルトガルのサッカー観戦兼お祝いパーティをしました。このオープニングの後はどっと疲れが出て、何もする気が起こらずボ〜として暮らしています。一応、気が張っていたようです。

 

Paris48  決勝:伊対仏   

 先日、敵地の上、レッドカードが出る逆境ながらイタリアがオランダに勝ってしまい、決勝はフランスとの戦いになりました。市庁舎前の大画面ではオレンジの服を着たオランダファンと青いイタリアファンが熱い声援と飛び切り汚いヤジを飛ばしていましたが、攻められて攻められて守り抜くイタリアに、最後はフランス人もイタリアを応援し始めてしまいました。さて、敵地フランスに住むイタリアファンとしては肩身の狭い、隠れキリシタン的な応援をしなければならないのが辛いところ。
 1988年の西ドイツで行われたヨーロッパカップの時に、スペインの風景の取材でマドリッドのホテルに居ました。丁度その日はイタリア−スペイン戦で、ホテルのテレビのあるサロンは満員。勿論、全員がスペイン人で、イタリアを罵っているのが解かり、隠れイタリアンのぼくは平静を装ってイタリアを応援。ところがイタリアがゴールした瞬間、思わず椅子から立ち上がってしまい、何ともバツが悪い思いをしました。(その試合は1−0でイタリアが勝ち決勝トーナメントに進出)2年前のワールドカップの準決勝イタリア−フランス戦は東京からの飛行機の中。しかしミラノに降りた時に運良く待合室で延長戦を放映していたので、ローマ出発の呼び出しのアナウンスがあっても最後まで見ていたら、係の人から手を引っ張られるように機内に連れていかれましたが、その1時間後にローマに着いた時にはPK戦の末、イタリアの敗戦の報。最近タイトルのないイタリアサッカーにフランスのシャンペンを準備して応援したいと思います。

 

Paris49  まさかの敗戦…   

 イタリアが優勝を目前として痛い90分目の同点ゴール。更にフランスにVゴールを決められ、ガックリ。あの時にデル・ピエロが2点目を追加してれば…、と言う「たら」「れば」「もし」を繰り返し。テレビを消してフテ寝をしようと思ったけど、外からはもの凄いクラクションの音と歓声が聞こえてきて、気が付くと支度をして外に出ているから、賑やかな所が好きな性格は、頭と体は別々に行動してしまうようです。
 市庁舎前に行ったらテレビ放映は終わっていて、広場にはペットボトル等のゴミの山と、かなりの人数が噴水に飛び込んだ跡。その横のリボリ通りはフランス国旗を振ってシャンゼリゼ−通りに向かって人々が行進し、応援風の声を張り上げたり、ラ・マルセイユを歌って、ドンドン人が増えてきます。車は人が窓から飛び出し、ある車は屋根の上にも人が座って大きな旗を振り、そしてクラクションを鳴らす。信号の真中には太鼓を持って何人もが踊り、誰かが仏国旗を闘牛の赤い布のように車に向かってすると、見ず知らずの対向車やバイクが牛のようにそこを走り抜ける、まさにお祭り。我々はもう家に帰って来て午前1時になりますが、外では相変わらずクラクションと歓声が聞こえてきます。この2週間後に日本で言う「パリ祭」があって又ひと騒ぎするのでフランス人は体力が必要です。

 

Paris50  オペラ座    

 友達からバレエのチケットを手に入れ、夢の殿堂に行ってきました。バレエは前々から興味があり、イタリアでも機会があると行っていましたが、ローマで偶然にもヌレイエフのバレエを見た時は素人ながらその凄さに驚き、何か一人だけ立体映像で飛び出ているような印象でした。
 今回は現代バレエ。今一番ヨーロッパで話題になっているオランダのバレエ団なのか会場は満員。面白かったのは、開演が1時間ほど早くなっていて、始まる前にオペラ座の舞台裏から地下まで観客の通路を作って置き、途中途中の物置や舞台下の隙間、更衣室等の20箇所ぐらいに、これから踊る団員が即興のパフォーマンスを演じていた事でした。ぼくらは列を作って細い通路と低い天井を通ってパフォーマンスを見ている内に、もうすぐ始まる舞台に上がってしまい、舞台から自分の席に着く逆なパターンでした。
 「何か始まる!」そんな期待をもたせる楽しい演出です。本番の方の前半は謎、なぞ、ナゾの連続で、何を伝えようとしているか解からない感じですが、後半はその集大成で、動きの新しさや複雑な構成を見せに見せて感動的に幕を閉じ、何度も「ブラボー」を繰り返す観客総立ちのカーテンコールが続きました。高いチケットでしたがこうも感動すると安く思え、さらに開演前と休み時間に首が痛くなるほど見上げていたシャガールの大きな天井画も良かったので二重に得をしてしまいました。
 今まで美術館で見ていたシャガールの絵はそれほど好きではなかったのですが、オペラ座の重苦しいバロックの中にシャガールの色彩は程好く調和していました。感心したのはフランスの芸術の殿堂に、外国人の作家をよくぞ起用したと、フランスのアートの世界での国際性も賞賛して帰って来ました。

 

Paris51  サン・マルタン運河 1   

 ぼくは昔から地理が好きで、自慢じゃないけど小学生の頃は「歩く地図帳」と言われ、物覚えが悪いぼくにしては各国の首都や気候・産物等が空で言えるうるさい存在でした(布団の上では「寝る地図帳」と呼ばれた)。今でも読むモノがなくなると日本の時刻表と地図帳を飽きることなく眺める趣味を持っているので、今こうして海外に住むことは、この地理好きの延長にあったように自己分析しています。
 その地図の中で長い間の疑問が「パナマ運河」。幾つもの水門の開閉で水位を増しながら船を上に運んで行く事は頭では解かっていても、見上げるような大きな船が太平洋から山を越えて大西洋へ渡っていくのかが具体的に謎でした。教えてくれた社会科の先生も実際にパナマ運河を見た事がないと思うので、水位の上げ方を簡単に「水を入れる」と言った所に長いあいだ疑問が残り、山の頂上の水門では船の毎回の通過で大量の水を下からポンプ等で汲み上げないと船が持ち上がらないことになり、何かエネルギーの無駄というか、合理的ではない感じがしていました。今回の展覧会の作品が運河の街「ヴェニス」の為か、運河つながりのパリのサン・マルタン運河の景色も気になり見に行ってきました。

 

Paris52   サン・マルタン運河 2   

 フランスも運河が発達している国で、国内の川が多くの運河で連絡されて、今でこそ少なくなってきているがまだ運搬船が活躍しており、地中海から北海まで運河と川を使ってフランスを横断する事も可能です。 タイトルは忘れたけどアラン・ドロンとミッシェル・モルガンの映画にも小さな村を横断する運河が登場します。
 地下鉄を出てすぐ運河だったので、鉄の太鼓橋に登ってみると運良く船が水門に入った所でした。船が着いた一番下の水位から上の大きな運河の水位までの高低が5mあり、そこを3つの水門を順序良く開閉し、2回に分けて水位を上げることによって船を持ち上げて行くその行程を飽きずに最後まで眺めていました。これは今日実際に見たことで、川の運河は上流からドンドン流れてくる豊富な水を流し入れるだけで解決し、パナマ運河は頂上にも大きなガツン湖があることで簡単に水を落としているのか、とポンプなどは使わないことに納得しました(個人事ですいません)。肝心のサン・マルタン運河の風景は、ヴェニスとは違った雰囲気を持ち、等間隔に並ぶ街灯とある所は道路よりも運河の水位が上にあるの景色が新鮮で、多くの人たちが散歩やベンチで読書をしている長閑な雰囲気でした。
近くには映画のモデルになった「北ホテル」もあり、今度は街灯の光が水に映る夜に行って見ようと思っています。