加藤朝美 エッセイ Paris 1〜13 / 14〜24 / 25〜34 / 35〜42 / 43〜52 / 53〜60
Paris53 ルーブル美術館 1
昔、パリに来た時には、現在ここのシンボルになっているガラスのピラミッドは存在しなかったので、オルセー美術館同様にルーブルにもたいへん興味があったのですが、心の準備に時間を掛け過ぎたのかパリ滞在2ヶ月も経ってからやっとルーブル美術館に足を踏み入れました。
外観を触らずピラミッドを中心とした地下に美術館の入口と各館のセンターとすることで、作品の時代別・国別が解かりやすくなり、見たい作品・セクションが選択しやすくなった事にあります。そして各館が地下で繋がっているピラミッドに戻る事で時間と距離の短縮でき、例えば昔は「モナリザ」に巡り会うまで宮殿の廊下を全部歩き続けなければならなかったのが、初めてルーブルに訪れた人でも各国語で無料配布している館内地図を見れば、望みの場所に到達できる仕組みになりました。最初、シックなルーブル宮の中庭に、派手なガラスのピラミッドの写真を見た時は、調和してない様に感じたのですが、宮殿としての美観、美術館としての機能、付属部分等(つまりレストラン、ショップ、地下鉄駅の直結)のトータルが、実際に美術館を回ってこの建築家の方法が理想的に思えました。
小さな作品をアトリエでコツコツと作っている彫刻家には考えつかないことで、全体的にものが見える建築家はさすがに頭が良いと、内部からピラミッドを見上げながらつくづく尊敬の念を抱きました。建築家は中国系アメリカ人のI.M.ペイ。
Paris54 ルーブル美術館 2
内容的にはコレクションの質が高いことも確かなのですが、イタリアの美術館と比べて展示が巧い。同じイタリアにもある同じような作品が数段よく見えてしまうのは、展示に予算と空間を十分取っていて、照明に気を使っている事。一つの作品に回りのスペースを十分与えてあるので、照明との組み合わせで作品に神秘性を与える効果があります。最上階などはガラス天井になっていて高い所から自然光(直射ではない)をふんだんに取り入れているので大作の絵画は特に見やすくなっていました。
昔、ニューヨークのメトロポリタン美術館でも美術館全体の展示が良く、特にその時の特別展、タイトルは忘れたけどキリスト教の聖器展で、展示の巧さを感じました。聖器というとイタリアの教会の展示室やバチカン美術館の通路でガラスケースの中に所狭しと並べてあるのが当り前で、アートと言う言葉が似合わないモノでしたが、メトロポリタンでは聖器を「宗教的なもの」と言うより「アートの作品」として扱い、どんな小さな作品にも一つのガラスケースに入れ、それを特別な照明を当てて十分な演出を与えていました。
映画の世界でも有名な俳優をいくら集めても、質のよい演出と、有能なカメラマン・照明・衣装のスタッフが居ないと、映画そのものが三流作品になってしまうように、イタリアの有り余る美術品ももう少し選択して良い展示をしないと…、とイタリアの文化相でもないぼくがイタリア美術館の将来について考えています。(ルーブル美術館でも監視員は2人、3人で相変わらず歩きながら大きな声で世間話をしていました)
Paris55 後1週間のパリ滞在
今日が展覧会の最終日。明後日に作品の搬出で、その3日後にはローマに運ぶ作品と生活荷物を運送屋が取りに来て、同じ日にシテの部屋のチェックがあり、使用期間中の破損物や掃除の検査を受けます。こうなってくるとアレもしておけば良かった、コレも見ておけば…、と欲張った後悔が湧いてくるものです。先日、A君に通訳を手伝ってもらい、シテの学長との面会がありました。別にたいした話は交わさなかったのですが、2ヶ月前に私に手紙をくれればシテ・デザールでの月単位の滞在ができる事を言ってくれました。こんな事から又パリに来る気になっているので、今度は取材を中心にパリ市内だけではなく、パリ郊外も取材の対象にしてみようと考えています。
Paris56 フランス警察
考えてみたらぼくが留学したかった国は元々フランスで、大学1年の時に必修でもないのに準備の為に仏語を選択したり、フランスのスキー用具を買い揃え、下宿のテーブルはフランスのトリコロール・カラーで塗り、イタリアなどはぜんぜん存在してない時期でした。特にフランス映画は昔からよく観ていた方ですが、その時代の作風がストーリー性よりも情景描写に重きを置いている上に、米映画のようにハッピーエンドで終わらないので、重苦しい気持ちで映画館を何度も出てきた記憶があります。そんな事でついついフランス映画でも警察官のドタバタ喜劇ばかり見てしまい、フランスの警察官の制服、特に円柱型のツバの着いている帽子はドジのシンボルだったので、仏警察を良い意味では身近に、悪い意味では軽く見てしまっていた感じでした。
しかしフランスに来て見ると彼らは親切で、精悍さがあふれ、実物の制服を見ると色のコンビネーションが良く、デザイン的にも優れているので、その帽子まで好きになっています。アルマーニもデザインしたことがあるイタリア警察のユニフォームが一番と思っていた事が、最近は順序が逆転してしまいました。シテ・デザールの近くに修道僧の宿泊施設があるのか、イタリアでは見かけない僧衣が濃いブルーで、茶色のベルトの修道士が歩いています。色のセンスが良いところに、後ろの肩から長く足元までのびている細いマントのカッティングも美しく、更に皆さん頭も小さくて、イタリアのようにパスタ太りの方も居ないので、僧衣がぴったり。フランス生活も末期になり、坊主の袈裟まで良く見えてきている今日この頃です。
Paris57 荷作り
最初に荷物を発送したローマの運送会社との連絡は伊語で良いのですが、パリ側の運送会社にはA君に仏語で電話をしてもらったり、運送会社で少し伊語が話せる人がぼくに電話をしてくるので、簡単な話しにも3倍くらい時間がかかっています。パリに来る時に別送した作品と衣類・生活用品を含めての荷物が11個で合計300kg、ブロンズが少ないので今回は軽い方。この前、ローマに一時帰国に手ぶらで帰った快楽を覚えたら、飛行機で持ってきたスーツケースも帰りは一緒に送ってしまいます。何しろ毎回日本に帰るときには避難民のように衣類・食料・作品を持ち帰る習慣が出来てしまい、手ぶらで帰るのは罪悪感すら感じていました。ローマに来た時よりダンボールで3個も増えているので、知らないうちに色々な買い物をしていたようです。作品集とフランスの風景等の本は結構買い込み、その他にも額と彫刻の材料を買い、パリでのお土産はオーガニックの「マルセイユの石鹸」、近くの修道院が作って売っているチョコレートと蜂蜜飴等。今回意外だったのはパリで醤油を1本買ったのがまだ半分残っていますが、オリーブオイルの方はローマから持ってきた1瓶がすぐ無くなり、パリで買ったのを含めてもう4本目。サラダには必ずオリーブ油を使い、ぼくらの食生活もイタリアンがベースになっていますが、我が家に食事に来る日本人の友達はパリの豊富な日本食よりイタリアン・パスタの方が喜んでくれ、それでオイルを多く使うようです。その日に食べたパスタのレシピを一生懸命メモって帰って行ってくれます。もうすぐ荷物を取りにトラックが来るので、今日はこのへんで・・・。
Paris58 パリに移住
今日は留学生のA君が一番パリでおいしいと言う念願のラーメン屋「北海道」に行って来ました。オペラ座近くのサンタンヌ通りは日本語の看板に溢れる飲食街、中国人街の世界共通の臭いとは違う新宿の飲食街の懐かしい臭いがしました。パリは日本人にとって住みやすいのかもしれません。それは日本と日本語での情報が多いのと、フランス語が判らなくても生きていける道があるからです(限られていますが)。日本的な便利さを知っていて、超ラテンのイタリア人の性格に慣れているぼくらにもフランスは住みやすく魅力が多い国です。言葉も伊語から進めばそれほど苦しい道のりではなく、習慣もそれほど問題はなさそうです。
一番の魅力は国全体が芸術に理解があり、外国人にも活躍の場が与えられている事がフランスに惹かれる理由です。残念ながらイタリアは変な国粋主義的なことが多く、家族でもマフィアでも国でも、やはりファミリー中心のお国柄なのかもしれません。勿論10年前のぼくはイタリアの魅力に取り付かれていた最中だったので、イタリアから吸収するものが多くあり、それまでにもパリには何回か来たのですがフランスには興味を示さずに一瞬にして通り過ぎてしまいました。
ニューヨークも国際性とアートの開放度から多くのアーティストが魅力を感じる街です。ぼくもその虜になった一人ですが、自分の求める作品から遠さを感じたので住みたい街ではありませんでした。でも2年間の日本への移民(?)を経験し、日本の文化程度の低さとアーティストの地位の無さを目の当たりに実感した後、パリの生活はフランスの魅力の考え方を大きく変えさせてくれました。
Paris59 今日はフランス革命記念日
フランスでは「7月14日」と簡単に月日を言い、日本で言う「巴里祭」とは日本の映画タイトル用に作られたもので、フランスでは全く通用しないようです。昨夜はその起点になったバスティーユ広場(牢獄跡)で夜を徹しての前夜祭があり、地下鉄の中でカーニバルのような服装の人を多く見かけました。
今はテレビでシャンゼリゼ−通りのパレード中継をやっているので、もうすぐぼくらの住んでいる上をジェット機が何機も通過する予定です(3日前から騒々しい音を立てて通過し、何度も訓練をやっていました)。と書いている矢先に、編隊を組んだジェット機がトリコロールの煙を出しながら凱旋門を走り抜ける映像がテレビに映り、10秒後にジェット機の騒音と共にシテ・デザールの上の空を通り抜け、窓を開けたら綺麗に3色に空を染めて去っていきました。その後に各種の制服の軍隊が行進し、その色とりどりの制服のデザインが面白いこと。軍とは違う警察や消防士も行進しているけど、どこの所属かわからなかったのは、全員あご髭が生えていて皮のエプロンをして斧を担いでいる部隊。
F.フォーサイスの小説を映画化した「ジャッカルの日」は革命記念日ではなく解放記念日にドゴール大統領の暗殺を描いた映画で、イギリス人のプロの綿密な計画と準備、その暗殺を止めようと動くフランス警察の息が詰まるような追跡。まさに今のシラク大統領を360度のどこかの窓からジャッカルが特別製の銃で狙っていると想像してみると、自分がパリに居合わせている事でこの映画が身近に感じます。明後日、ローマに出発です。ローマに帰ったら小説の「ジャッカルの日」をもう一度読んでみたくなりました。
Paris60 Last・単語・in・Paris
「いつも私を見守ってくれていた豊なセーヌ。今日もゆっくりとパリを動き、曇った空を映しては消え、消えては流れ…何とかカンとか…」、と最後にクロワッサンの匂いがする詩でも書ければよいけど…。先日、トラックの荷物を送り出し、アトリエの掃除も終わって、最初に着た時のようにアトリエの中がガラーンとなってしまいました。昨夜の革命記念日のパリ市内中に打ち上げた派手な花火とは対照的に、何か淋しい朝です。
最後の最後の荷物を郵送するのでサンルイ島の郵便局に行ったら、今日はポンマリの橋の上からセーヌ川を真剣に見てしまいました。今までこんな大きな川の近くで住んだ事がないので、毎日のようにシテ・デザールの前に流れているセーヌを見ていますが、休むことなく動きつづける流れが、人間が作り出した街並みよりも大きく、美しく見えました。2ヵ月半の生活でパリを一言でいうとしたら、「美」「MIX」「芸術」「ルーブル」「印象派」といろいろな言葉が湧いてきますが、やはりセーヌ川を称えた多くの詩人と同じようにぼくも「セーヌ」を選びます。シテ島から出発したパリの発展はセーヌ川なしでは語れない歴史があり、更にはその美しさを演出できなかったと思います。大陸の中にあるパリ市の紋章が意外な「船」のマークである事は誰もが認めるセーヌの力であり、パリの心です。
Paris61 ローマ通信
新たに通信を始めるわけではなく、パリ通信として最後のメールをローマから送ります。何の気なしに始めて、強引に送りつけたメールも2ヵ月半でParis60にもなってしまいました。誤字脱字を気にせず、怪しい知識と自作の法螺を盛り込みながら書いたので、気楽に続いたのかなと振り返っています。それにネーパルのbintinetにも載せてくれたので辞める訳にも行かなくなり、それが良い毎日の習慣になりました。
ローマで飛行機を降りた時にも空の青さが違い、暑いながらも乾燥した空気が気持ちよく流れ、ポロシャツの中を通り抜けていきました。傘を持ち歩いたパリとはえらい違い。昼過ぎにフライトが着いたにも関わらず、セレーナが南イタリアのパスタを作って待っていてくれました。「うまい!」よく煮込んだトマトソースにカラーブリアのパスタ、トマトで煮込んだ牛のミートボール、サラダはもぎ立てのトマトに、中からまだ牛乳がにじみ出る新鮮なモッツァレッラ・チーズ。「フランスに浮気した俺がバカだった!!!」としきりに後悔。これからアトリエに通い出して、友達からサッカーの誘いがきだすと、パリに居たウエットな思い出なんぞ忘れそうな、地中海の強い光と乾燥度です。
来年の春になるかな? シテ・デザールには取材のためにも、また行って見たいと思っています。そしてパリの風景の作品で展覧会が出来た時に、パリ通信を読んだ面々にお会いできたらと、今から楽しみにしています。